残酷王「ペドロ1世」による浮気マンコ
9/24日経新聞より。
1357~67年に在位したポルトガルの王様が、
隣の国の有力者の娘と結婚して、そちらのマンコで跡継ぎを3人作りつつ、
この娘が連れてきた侍女のマンコでも射精して、
こっちでは4人の子供を作ったそうですw
結婚して10年後の1349年に晴れて奥さんは死にまして、
ひゃっはーー!
とばかりに、さらなる新しいマンコに勤しむのかと思いきや、
案外この愛人が好きだったらしくて、
いろいろゴタゴタがあってこの愛人は殺されちゃって、
その殺した相手を捕まえて公開処刑して、
みんなの前で背中や胸をぶった切って心臓を掴みだしたそうですw
で、これが理由で残酷王と呼ばれているそうな。
気になったのでwikipediaで調べてみると・・・
ペドロ1世 (ポルトガル王)
どれどれ。
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最初の妻ブランカとは少年期に別れており、子供はいない。
2番目の妻コンスタンサ・マヌエルとの間には2男1女が生まれた。
・ルイス(1340年)
・マリア(1342年 – 1356年) – 1354年にアラゴン王子フェルナンド(アルフォンソ4世の子)と結婚
・フェルナンド1世(1345年 – 1383年)
3番目の妻としたイネス・デ・カストロとの間には3男1女が生まれた。
・アフォンソ(1346年)
・ベアトリス(1347年 – 1381年) – アルブルケルケ伯サンチョ(カスティーリャ王エンリケ2世の同母弟)の妻
・ジョアン(1349年 – 1397年) – 1383年から1385年の間、フェルナンド1世の王女ベアトリスの嫡出の不確かさを追及し、王位を請求した。
・ディニス(1354年 – 1397年) – 1383年から1385年の間、兄ジョアンと同じく王位を請求した。
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ほう。なるほど。
ちなみにこのマヌエルが死んだ奥さんで、イネスが愛人。
一応奥さんとの間の子と、愛人の子の出生年は被っていないようですね?
ってことは、同時期にオマンコしてたわけではない・・・?
一応、義理は通したのか・・・
と、思いきや。
おーーっと。
ちょっと待て待て。
どういう事だ。
奥さんは、1349年に死んだって書いてあるぞー?w
んーー?
なんだー?
えーっと、どういう事だ?
愛人の最初の子が1346年、次が1347年、その次が1349年ってことは、えーっと。
どうなってんだコレ?
奥さんは1349年に死んだわけだから。えーと。えーっと。
奥さんが病で伏せてるところで
愛人とオマンコスタートさせてるっ!ww
これ。奥さん。自殺とかしてないか!?w
自分をさしおいて、妾との間でオマンコして、子供3人も作られたところで、
絶望して自殺した。とか。
ちなみにこの愛人は1355年に殺されて、
その復讐に燃えて、敵(かたき)の心臓をえぐり出したそうですが、
愛人が死んで2年後、さらなる愛人との間でに一人子供を作っているそうです。
くぅぅ!
羨ましいぜっっ!w
でも、46歳で死んじゃってるから、
あんまり羨ましくないかなっ!wwwっぷぷ!!
僕はたぶん46歳では死なないし
46歳以降もお金払っていっぱい不特定多数のマンコで精子出すから、
トータルのオマンコ数はたぶん圧倒的に僕が上。
僕の勝ちぃぃぃぃぃ!いぃえぇーーーーーっす!ww
ウィナァァアァ!w
(追記)
この残酷王の息子のwikipediaも面白かった。
フェルナンド1世 (ポルトガル王)
息子は人妻に横恋慕して離婚させて強引に結婚したらしいw
>人妻のレオノール・テレスに横恋慕し、離婚させて結婚した。
>これに反対してリスボンでは暴動が起きたが、
それで暴動が起きるも、
>首謀者は王妃レオノールの命により処刑された。
この人妻が首謀者を処刑したらしいw
おいおいwやるねぇこの女。
私は王妃になったのよ!あーっはっはっは!って感じですか。
で、この王様が37歳で死んだら、
>フェルナンド1世は嫡出男子のないまま死去した。死後、条約に基づきベアトリス王妃(王様とレオノールの間に生まれた娘)がポルトガル女王即位を宣言し、母レオノール・テレスが摂政となった。しかし、ベアトリスとフアン1世の結婚を取り持ったフェルナンデス・アンデイロ伯爵はレオノールの愛人であり、またポルトガル貴族の多くや
・・・。
んーー?
レオノールの愛人・・・?
んーー・・・・?
この女、王妃なのに不倫してたってことかっ!?w
男も色んな女とオマンコしまくりだけど、
この王妃も色んなチンチンを吸ってきたんですね?w