東洋経済ONLINEより:将軍・徳川家斉が「53人も子供を作った」ワケ
将軍・徳川家斉が「53人も子供を作った」ワケ
東洋経済ONLINEより
名前と、そういう人がいた。という存在自体は知ってましたが、
久しぶりに改めてしっかりとした文章を見て、
いいなあ
と思いましたねw
15歳で将軍になって、
17歳で正室と結婚。
でも結婚の次の月に、実は一人目の娘が生まれてる。
とかw
えーっと。それは。つまり。えーっと。どういうことなんだ?
子供ができるのって、どうなってるんだ?えーっと。
ちょっと調べてみるか。
ふーむ・・・。なになに?
妊娠から出産までの期間はどのくらい?
ほう、なるほど。
つまり、中出ししてから、大体10か月かかるってことか。
ってことは、えーっと。
どうなるんだ?この場合。
えーっと。17歳で結婚。でもその1か月後には、他の女との間に出来た一人目の子ができる。っていうか、生まれる。この世界の空気を吸い出す。ってことは、
少なくとも結婚の9か月前に他の女に、結婚相手とされない側室レベルの行きずり的なお遊び中出しをしたわけじゃないか?
ってことは・・・。
おーいおいおいおいおい・・・。
おいおいおいおい・・・。
おいおいおいおい。おいおいおいおい。
16歳か17歳で、すでに女に中出し経験してたのは間違いないよな?これ。
しかも、しかもだ。
当時は、排卵日なんてものはわからない時代だから、
たった1回の中出しでドンピシャなんて、さすがにあり得ないよな?
ってことは続けざまにヤリまくってたと考えた方がいいか、
あるいは、ハーレムにして、毎日違う女を抱いていて、たまたまその日、排卵日だった女と、たまたま偶然セックスして中出しした。ってこともありえるな。
ていうか調べていて、wikipedia。かなり面白いぞ?
徳川家斉 – Wikipedia
側室 多数
子供 他多数
とかってwwwww
それで括るかいwww
んーっと。ついでに、この自分の旦那が他の女とヤリまくってるのを横目に見てた、
この悲しい正室にも興味が出てきたぞ?と
wikipediaを読んでみたら、
んー。なんだって?ちょっと待て待て。
ちょっと強烈な一文があったぞ?
えーっと?
寛政8年(1796年)には家斉の五男・敦之助を産む。御台所が男子を出生するのは2代将軍・徳川秀忠正室お江与の方以来であった。
んーっと。どういうことだ。ちょっと日本語を読み解くか。
えーっと。1796年に、家斉の 五男 を生んだ。と。
ちょっと5人目の子供ということは置いておこう。ひとまず。だ。
ひとまず置いておいて、次の文。
御台所・・・これは前作で勉強したから知ってるぞ?将軍の正室のことだ。正式な奥さん。
正式な奥さんが、男子を出生するのは、徳川家で、事実上、二人目。ってことだよな。
この文章の手前で、娘は産んでます。的なことは一切書いてないということは・・・
この家斉。
自分の妻が妊娠するよりも前に、
浮気相手の女に4人も!
孕ませてるってことじゃないか!
側室からしたらこれ。
正妻よりも先に、私が受精~wwww
って思ってるだろこれ!
ちょーーーーーーーーーうらやますぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーー